無意識の恐れ

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カラオケでもじもじされると周りも恥ずかしくなります。

音程が合っているのか気にしながらだったり、周りがしらけないか気にしながらだったり、歌詞を間違えないか探り探りだったり。
恥ずかしがって誰かが歌うところを見ると、自分まで恥ずかしくなりますよね。

この理由には、大きなものが二つあります。

一つは、歌い手と気持ちが共鳴したからです。
共鳴とは、例えば同じ音階のおんさを二つ並べて片方を叩くと自然と叩いていないもう片方まで鳴りだす、という現象です。
(参考 2-2-2-3 共振・共鳴 の上から5段落め)
気持ち、心の共鳴もこのイメージで、例えば友達とハイテンションで笑い合っているときには、その場のみんながハイテンションで楽しい気持ちを共有しています。
たくさんのおんさが一度に鳴っていて、大きな音を出しているようなのです。
カラオケの例で言うと、恥ずかしいと思う気持ちが共鳴したのですね。

二つめの理由は、「歌い手が恥ずかしいと思っているようだ」と聴き手が気付かされたからです。
私はある学生バンドのライブを見に行ったことがあり、そのときバンドのボーカルが歌詞を途中で忘れて恥ずかしそうにしていたことで、こちらまで恥ずかしくされたのを覚えています。
私が知っている曲は一曲もなかったので、彼女がもし歌詞を忘れたところを適当に埋めていれば(ラララーなどと)私はわからなかったでしょう。
たとえ知っていたところで、後で「忘れてたよね」とバンドのメンバーには言われるのでしょうが、その瞬間は誰も恥ずかしくさせなかったと思います。
彼女と私は知り合いではなかったので、共鳴したというよりは「歌詞を忘れてしかも恥ずかしがっている」を意識させられたからでしょう。
ボーカルである彼女が意識したこと(本当は気付かれたくないはずのこと)がこちらにも伝わったのです。
私以外にも同じ気持ちになった人がいたと思います。

たとえ本人が気にしていなくても恥ずかしくされることがあるので「本人さえ恥ずかしがらなければ大丈夫」とも言い切れないのですが、少なくとも周りが「キューティーハニー歌ってよ!」とはやし立てる場面では本気で歌ったほうが良いですよね。

男性であればデートのとき、かっこよく見せたいと思います。
そこで「今日の服ださくないかな」などと気にしていたら、全然かっこよくありません。
女性にも言えます。
そんなときは覚悟を決めて(反省なら後でいくらでもしましょう)、「もう着てデートに来てしまったのだ。服はいいからこのデートを全力で楽しもう」と考えると、自然と肩の力が抜けて魅力が発揮できます。
肩に力が入った男性の多さを感じるので、ぜひ意識してもらいたいです。
本当にかっこ良いですから。

全て相手の言うとおりにしていても、ふられることがあります。

噂には尾ひれがつくものです。
特にそれがスキャンダラスなものであったり、陰口的なことであったりするほど、伝わっていくうちにおおごとになりやすいですよね。
誰かの不満を愚痴として話すことは解消としてよい方法ですが、それだけでは本人に伝わってしまったとき思っているより傷つけたり、関係を悪化させたりするかもしれません。
できれば直接、誤解のないように伝えたいですね。

これは、自分と相手、その間に入って間接的に伝える人、の3人以上が関わる例ですが、カップルという2人の間でも起こりえます。

例えば、以前彼氏から「わがままを言い過ぎる」と言われふられた女性が「今度はわがままを言わないように」と、新たなパートナーの前では一切意見を言わなくなったとします。
「どこ行きたい?」と言われても「あなたの行きたいところでいいよ」とか、「何か欲しいものある?買ってあげる」と言われても「ううん、いいの。買ってもらうなんて悪いから」とか答える状態です。
このカップルはこの先どうなるのでしょうか。
私は長く続かず、彼氏がふると思います。
彼女の不満が、彼女の口からでなく態度や雰囲気から伝わってしまうからです。

家族や恋人のように心の距離が近い関係にある人とは、心が共鳴します。
家族が穏やかに談笑していれば自分も穏やかな気分になったり、恋人が悲しんでいれば一緒に悲しくなったりするのはこのためです。
共鳴するからこそ心の距離が縮まるとも言えます。

彼女が意見を押し殺していると、その窮屈さが無意識に彼氏には伝わります。
論理的な人は感情に鈍感なことが多いですが、例え感情に鈍感で意識では感じていないようでも、無意識にはしっかりと感じています。
「嫌われないようにしなきゃ。わがままを言ってはいけない」という恐れや不満感を、無意識は鋭くキャッチするのです。
いくら彼女の演技がうまくとも、彼女の無意識から彼氏の無意識へ勝手に伝わってしまいます。
彼氏のほうは、よくわからないが「なんとなく疲れる」ような気がして、相手を避けたくなるんですね。
心は離れていきます。

彼女の口から直接「わがままを言ってふられた経験があったから、嫌われるんじゃないかと怖くて何も言えない」と言われれば、彼氏のほうも理解することができます。
「そうか。言い出しにくければこっちから聞くようにする。そのときはわがままじゃないから好きに答えていいよ」などと言って一緒に怖さを乗り越えることもできるでしょう。

これが、黙ったまま無意識から無意識へ、「間接的に」伝わってしまうと、「いつも人任せだが付き合う気はあるのか」「何も言わないのはおれが暴力を振るうとでも思ってるのか」などと思われるかもしれません。
口から伝えなければ、誤解が生じても仕方がないですよね。
このことが積み重なって破局につながります。

なんでもかんでも口に出す必要はありませんが(ときに黙ったほうがいいこともあります)、なるべく直接意見を伝えてください。
自分もすっきりするし、相手もすっきりしますから。

※ 忙しいパートナーに「寂しい」と伝えまくっては逆に重たがられるのでは、と思った人もいるでしょう。
この問題はまた日を改めて。

“遠距離は果たして続くのか?”という問題について。

このタイトルには、実は重大な前提が隠されています。
それは多くの人が無意識に抱えていて気付かない前提です。

遠距離は果たして続くのか?

みなさん、こんばんは 恋愛哲学のお時間がやって参りました。
ナビゲーターのやしぴ~です。
前回から少し時間が空いてしまいました。
今日から3月ですね・・・やっぱ3月といえば
別れの季節・・・終わりそして始まり・・・
寂しい反面、期待もありますね。
そんな時期に決断しなければいけないカップルもいらっしゃるんじゃないでしょうか?
そうです・・・遠距離恋愛・・・
今回はその遠距離恋愛について語っていきたいと思います。
(続く)

恋愛哲学DIARY―やしぴ~のひとりごと―

「続くのか」というのは、それが終わることを前提とした問いかけです。
もともと「長く続くもの」という前提であれば、このタイトルは「遠距離恋愛は破局をむかえるのか?」のようになったはずです。

ほかの例で言えば、例えばみなさんは自分に「明日生きられるのか」とは普通問いかけません。
健康なときには全く考えず、病気になったり、災害にあったり、職を失ったりして「生きられない」が輪郭をはっきりさせたとき初めて考えます。
「続くか」という質問は、終わりが見えている(と思う)ときに使うのですね。

これが先に述べた“重大な前提”ですが、このことは遠距離恋愛に限ったことではありません。
もっと範囲を広げて、近距離での「恋愛」や「友人関係」、また「男女の友情」なども、よく「必ず終わるもの」という前提のもと話されます。

この前提を持つようになったのには、生きていく中で傷つき恐れを感じてきたという充分な経緯があるため、なかなか捨てづらい前提です。
そもそもこの前提があることにすら気付かないかもしれません。
それは心を守るための本能でしょうが、あまりに強いと、「付き合うことから逃げる」「素直になることが怖い」といった問題を引き起こします。
どんなに大好きな人が現れても、むしろ大好きだからこそ、その喪失を恐れて恋愛にのめり込めなくなってしまいます。
「付き合ってから3か月でふるつもり」などと言われているのに、その相手にのめり込むことなどできないですよね(変な例ですけど)。
そんなことなら始めから付き合いたいとは思わなくなります。

確かに、この「前提」に気付いたから何ができる、ということはあります。
しかし、気付くことさえできないことは乗り越えようがないのです。
怖いのは、それが失うと激痛が走るほど大きな価値だからです。
私は、その大きな価値に、怖がりながらでも飛び込んでほしいと思います。

みじかめ恋愛アドバイス

恋愛メモ

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