カップルのうち片方だけが幸せで,もう片方は不幸せ。
そんな状況は,長い目で見ればあり得ません。
「女の勝ち組」と「男の負け組」を生む法則(ルールズ)
これは結婚マニュアルでも何でもない。
女が絶対に損をしない、傷付かない付き合い方、アプローチのされ方を説き、そのような不平等な関係を嫌がる男は「理想の相手じゃない」と排除し、とにかく女に気に入られさえすれば奴隷のように振舞うのもいとわない男を「Mr.Right」だと言っているだけなのだ。
(続く)
こういう女はやめとけ No!男性差別
トラックバック先のサイトでは,ルールズ―理想の男性と結婚するための35の法則が紹介されています。
実際、この本のとおりに振舞えば、相手さえ見つかれば女は必ず幸せになれる
そうです。
このサイトでは,その代償としてただし、相手の男の幸せは保証しない
点を批判しています。
しかし,実際はそんなことはできないでしょう。
相手の男性が幸せでなければ,女性のほうも幸せにはなれないからです。
例えば,カップルのうち彼氏が不眠不休で働き,彼女にネックレスをプレゼントしたとします。
彼女は普通喜ぶでしょうが,もし彼氏が過労で倒れた場合はどうでしょうか。
嬉しい気持ちはあれど,やはり彼氏のことが心配になりますよね。
これが過労ならまだいいかもしれませんが,無理な借金をしてまでだったり,そのまま死んでしまったりしたら,プレゼントどころではありません。
ほかには,彼氏の仕事が忙しく寂しい思いをしている女性が我慢しすぎた場合はどうでしょうか。
その女性は幸せは感じないでしょうし,それはパートナーの男性にも伝わります。
やっと会う時間が取れたのに,我慢したイライラがたまったまま終止ふてくされていたり,相手の言葉にいちいちつっかかってしまったり。
結局どちらも幸せではなくなります。
カップルは幸せだけでなく,不幸せも共有してしまうのです。
「そんなことはない。相手が借金しようが倒れようが,自分に迷惑かけさえしなければいい」という場合,それは本当の幸せではないとまでは思いませんが,パートナーシップを築いて得た幸せではないことは確かでしょう。
わざわざ体力を使ってまで付き合う必要はない。
相手が苦しんでいても「めんどくさい」で済ませたくなるような相手なら,そもそもなぜパートナーとして選んだのか,と問う必要が出てきます。
誰かと付き合うこと自体に幸せを見出すなら,やはり両方が幸せである必要があります。
付き合うことは二人三脚です。
どちらかが転べば二人とも転び,痛い思いをする。
よく言われることですが,まさに「二人なら幸せは二倍に,不幸せは半分に」だと思います。
互いに幸せを与え合い,それがどんどん好循環になっていくようなカップルを目指したいものですね。
付き合う前、アプローチをかけている段階なら「気にしないで」と許せる人が多いと思います。
しかし、長く付き合っているカップルや、片方がいつも遅刻してくる場合はどうでしょうか。
遅刻を責めるとき、ほとんどの人が「遅刻してきた事実」を責めると思います。
社会生活をするためには時間を守らなくてはいけませんが、それをデートにも適用しています。
もしくは小さなころからしつけられてきた「約束を破ってはいけません」などを適用しています。
ですが、それで幸せでしょうか。
なぜカップル二人の問題に、大勢の人が暮らす社会のルールをそのまま当てはめねばならないのでしょうか。
社会においては、「遅刻してはいけない」ということを決めずいちいちそれぞれの人に任せていたら、混乱するばかりで多くの人が不幸になりますね(電車の運転士が毎日遅刻してきたり、医者がいつも手術の時間を守らなかったりしたら、多くの人が困ります)。
しかし、デートには二人しか登場しません。
大勢の、しかも見知らぬ人々が参加する社会とは前提が違います。
同じルールを使う理由はないのです。
遅刻されて寂しかったと言えばよい。
遅刻は悪いことと単純に考えるのではなく、遅れている相手を待つ間、寒くて大変だとか、来てくれなかったらどうしようと不安になるとか、そういう気持ちになるから責めたくなるのだと考えましょう。
気持ちを伝えてほしいです。
究極的には「遅刻しても相手が来てくれたこと」を感謝して、ありがとうと言えるくらいの余裕を持ちたいですね。
プレゼントと言っても、「モノ」とは限りません。
「キモチ」のプレゼントもあるのです。
男性などはつい、プレゼントは物をあげればよいと考えてしまいます。
しかし、親しい人からもらう場合、それ自体の価値よりもそこに込められた「喜ばせたい」という気持ちのほうが大きく響くことがあります。
5万円の財布を「お金が余ったから」と言って見知らぬお金持ちから渡されるのと、大好きな人から丁寧に包まれた5000円の財布をもらうのとでは、喜びの種類が違いますよね。
行動は特にそうだと思います。
付き合って「毎日メールする」というルールを決めて、毎日メールし合っていても、そこに気持ちは乗らないでしょう。
「メールに書かれている文字情報」が欲しかったのではなく、メールが送られることで伝わる「気にかけているという気持ち」が欲しかったのですから。
ルールも何も決めないのにメールが来る、そういうところに気持ちを感じるのです。
ただ、気持ちさえあればいいというのでもありません。
何も言わない、何もしない、のでは伝わるものも伝わりませんよね。
気持ちを示すためには、例えば短い手紙を渡すとか、小さなお菓子をあげるとか、細かいことでいいのです。
行動だけでは満たされない。
気持ちだけでは伝わらない。
気持ちを行動に乗せて、相手に届けてあげてくださいね。
デートに誘うとき「○月○日空いてる?」といきなり聞いていませんか。
これはやめたほうがいいでしょう。
相手は断りたくなるからです。
「○月○日空いてる?」という質問の意図がわからないため、「なんで?」と聞かれてしまうかもしれません。
もしくは、先手を打って「その日はちょっと用事が」と断られるかもしれません。
相手がデートに誘われることを期待でもしていない限り「空いてるよ!」と快い返事はもらえないと思います。
こんなことになるのは「デートしてくれるか」というお願いを「○月○日は空いているか」という質問にすり替えているからです。
「デートしよう」と言って断られるのは怖いですから、傷つかないよう無意識のうちに質問を変えているのです。
気持ちはわかりますが、かっこ悪いですよね。
「デートしよう」と言って、堂々と誘ってほしいです。
もし断られても「ごめん」とは口にしてはなりません。
断ったことで相手が「そっか…。ごめんね…」と落ち込んだらどうでしょうか。
その人を避けたくなりませんか。
だから断られたら「そっか。きいてくれてありがとう!また誘うね」のように言うのがいいでしょう(嫌われているのがわかったら「また誘うね」は逆効果ですもちろん)。
自分の意図をストレートに表す人は受け入れやすいものです。
「デートしよう」と誘えるように自信をつけてください。
不思議と誘いの成功率が上がっていくと思います。
「“じゃがりこは浮気の証拠”になるのでしょうか。」では、浮気の証拠探しのため携帯を覗くという例を挙げました。
これは果たしてよいことなのでしょうか。
私は良いことだとは思いません。
ですが、単純に「プライバシーだから」「覗いていいなどと考えるほうがおかしい」という理由ではありません。
そもそも、なぜ「覗いてよいのか」ということが問題になるのでしょう。
誰も覗きたいと思わなければ、もしくは覗かれて当然・別にかまわないと皆が思えば、問題にはならなかったはずです。
覗きたいと思う人、覗かれたくないと思う人、なぜそう思うのか考えてみます。
まず、覗きたいと思う人はなぜ覗きたがるのか。
それは不安だからですね。
浮気が携帯電話の中で進行しているかもしれない、自分の見えないところで良くないことが起きているかもしれない、そういう恐れが携帯を覗きたいという衝動につながります。
覗く側はときに「恋人同士なのだから隠し事は良くない。見せるべき」「見せたがらないということはやましいことがあるということ。何もなければ見ても良いはず」などと正当化のため理由を並べることがありますが、これはあと付けの理由です。
不安や恐れが先にあって、全てを把握して安心したいという衝動が先にあります。
それをそのまま口にするのは、負けた気がしたり恐怖をそのまま感じたりする気がして、なかなかできることではありません。
自分が不安であることに気付いてすらいない人もいるでしょう。
そんなに見たいなら、本人の前で見せてくれと言えばいいのです。
それができないのは、やはり恐れがあるのですね。
覗かれたくないと思う人はなぜでしょうか。
「プライバシーだから」と答えた人は、その先を考えてください。
「プライバシーだとなぜだめなのか。覗かれたくないのか」と。
すると気付くのでは。
プライバシーだからという以前に、嫌なものは嫌なのだということに。
携帯のぞきをする恋人に、プライバシーだなんだというより嫌なものは嫌だと伝えればよいのです。
隠したいからなどではなく、用を足す姿を見られるのが嫌なように「ともかく嫌だ」、そう伝えられたほうが「プライバシーだろ。覗くとかおかしい」と言うよりはるかに聞いてもらえると思います。
覗くほうも覗かれるほうも、正当性の主張ではなく自分の気持ちを伝えることを重視してください。
「不安だから見たい」「勝手に覗かれるのはどうしても嫌な感じがする」と気持ちを伝え合えば、例えば片方に余裕があるときには携帯を見せて安心させることができるかもしれませんし、覗くほうも、理由をごちゃごちゃ並べられるより相手の気持ちを考えるきっかけになります。
どうして自分は嫌がる相手を困らせてまで覗きたがるのか、気付けるかもしれません。
互いに納得して携帯を見せることができるかもしれません。
「私は良いことだとは思いません」と始めに書きました。
勝手に覗こうとする不安な心を伝えないままで覗くのでは、最高でも「グレー」にしかならず(今回は見つからなかったと思うだけで疑いを晴らせません)、良い結果を引き起こすための行動ではないからです。
ですが、もっと重要なことがあります。
「携帯を覗いてよいのか」という質問をするとき、「どちらが正当な立場か。どちらが正しいのか」と決めようとしています。
そこでは、不安な気持ち、嫌な気持ちをストレートに伝えるということが考えられていません。
気持ちを伝え合う姿勢があれば、良いか悪いかなどと決める必要がなくなります。
そのとき「覗いていいか」という質問は無意味になります。
私が最も言いたいのは、最終的には「そもそもその質問が無意味」ということです。
覗くか覗かないか。
そんな小さなことでもめない付き合いを目指したいですね。